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やっぱはてなの方がよかった。

2009年の誕生日からこちらでブログを書いていたのだけど、どうしても書きにくくて、いろいろ考えた末に、やはりはてなに戻ることにした。一番の難関は脚注の書き方で、はてなだと((と))で囲むだけという手軽さなのだが、fc2だとタグでいろいろ書かないといけない。天秤は頭が悪いせいか脚注が多く入る文章を書いてしまうので、この脚注の難しさは、どうにもfc2の機能と自由度の高さよりも大きな問題になるのだ。

というわけで、お手数かけてスイマセンが、以後こちらをご覧下さい。

すんませーん。
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BALLAD ~或いは臼井儀人さんの訃報を悲しむ

経済産業省というところでコンテンツ産業に係わるものとしては、どうしても海外市場に目がいきます。特に中国。そういう意味ではこの夏最大のニュースとして酒井法子覚醒剤事件があったわけですが、それに続く衝撃は、かの国でも大人気の「クレヨンしんちゃん」(蜡笔小新)の作者である臼井さんの訃報でした。
臼井儀人さん失踪報道は、職場でも話題でした。失踪という言葉にかなり違和感があって、とてもそれが真相とは思いませんでした。その後、山での遺体の発見、そして臼井さんの訃報となり、大きな喪失感を味わいました。
それほどに「クレヨンしんちゃん」は偉大な作品です。中国の一般市民が知っている日本の地名で「春日部」がベストスリーに入ったという調査があったほどに。

その喪失感のうちに、公開中の「BALLAD」を見ました。
ガッキーが可愛いとか、時代考証がやはり素晴らしいとか、まぁそういうこともあるでしょう。佳作には違いありませんし、関係者の努力は感じます。しかし、やはりそれを支えていた原作のストーリープロットの良さ、そして野原一家のキャラが素晴らしい。あれは、「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」の力です。
もちろんこうした作品は臼井さん一人の手になるものではありません。しかし、臼井さんがいなくては生まれなかったことも、また事実です。その臼井さんを失ったことは、国家的損失だと言ってよいでしょう。

臼井さん亡き後も、「クレヨンしんちゃん」は作られ続けるのでしょうか。原作者が死んだ後もチームで作品を作り続けるシステムを「サザエさん方式」というようですが(今回命名されたのかな?)、「ドラえもん」など、他にも実績があります。マンガからアニメへの展開で、偶然にもチーム製作になったことで、「クレヨンしんちゃん」はサザエさん方式に馴染むということはあるでしょう。是非、臼井さんのテイストを大事にして、これからも面白い「クレヨンしんちゃん」が生まれることを期待したいと思います。

快楽女声はやはりウマいぞ

先週上海のネタを書いたわけですが、なぜ上海だったかというと、27日に生放送された湖南衛視の「快楽女声2009」4進3(本来は今回が最終回だったそうですが、視聴率がいいので、一週延ばし、もう一段階加えたそうです。嗚呼、なんていい加減柔軟な中国のテレビ局の編成・・・)を、わざわざ長沙まで見に行っていたからです。

やや中華芸能基礎知識ですが、「快楽女声」は大人気のうちに終了(?)した「超級女声」の後継番組です。「超級女声」は American Idol をベースフォーマットにしたといわれる中国大陸では初といっていい大規模オーディション番組で、中華芸能史の文脈では大陸の「スター誕生」として記憶されるでしょう。中国全土から各省市自治区代表が地区予選を乗り越えて長沙に集まり、全国ベストスリーを決めるというスケールの大きさは、中華オーディション番組界のアメリカ横断ウルトラクイズと呼んでも良いかもしれません。それだけではなく、IT産業的視点では、視聴者からのSMS投票をしくみとして折り込み、さらにそれを有料化して収入源にしてみせたことでも注目されました。残念ながら、「超級女声」は北京から睨まれたわけですが、中国全土の支持を受けた番組をお取りつぶしにはできず、結局、SMS収入を放棄させられ、またゴールデンタイムから深夜枠(なんとこんな番組が22時半~24時半!)に領地替えさせられたりしながらも、なんとか生き残ることができました。この新装開店バージョンが「快楽女声」というわけです。

前置きが長くなりましたが、今回大注目だったのは、黄英ちゃん。
4人が3人になる今回、正統派ポップスシンガー系の江映蓉、ボーイズ系の李霄雲、民族舞踊系から攻めるアイドル系黄英、そしてダンス自慢の郁可唯という4人が競ったわけです。

江映蓉


李霄雲


黄英


郁可唯


さて、この4人から誰か一人が落ちる。と、ここで、脱落するのは残念ながらお顔の点で今一歩の郁可唯だろう、と誰もが、本当に僕の横にいた芸能関係者も全員そう思っていました。ところがあに図らんや、黄英ちゃんが脱落の危機に陥ります。
今回の「快楽女声・4進3」では、4段階の選抜をしています。その度にパフォーマンスがあって、それで誰かが落ちたり、敗者復活をしたりするんですが、まぁテレビ番組の例に漏れず、最終ステージ前の戦いはほとんど意味がない。そうはわかっているものの、会場を巻き込むカリスマ性満点の黄英ちゃんが何度も敗者席に回されるのは、やはりドキドキするわけです。それに引き替え、ややスタイルだけの郁可唯はステージトップになったりして順風満帆の雰囲気。
どうなる、快楽女声!?
しかし、ストーリーはおきまりの、しかし、誰もが見たかったクライマックスへと突き進みます。ラス前のステージで、郁可唯は上位3人中の3位となり、敗者席にいた黄英と一騎打ちになります。そして会場代表の投票で見事黄英ちゃんは郁可唯を抜き去り、最終ステージへの最後の切符を手にするわけです。
大団円。
見事、見事なハリウッドスタイルバラエティ。

この2時間のバラエティ番組をこのクオリティで走りきった制作陣に、僕は拍手を送りたい。さすがに湖南電視台、今、北京や上海のテレビ局を尻目に突っ走る、注目の中国No.1エンタメ系テレビ局です。侮れない。



ま、それはそれとして。
今回注目したのは、観客の女の子が10年前とは比べものにならないくらい垢抜け、可愛くなっていた(人もいた)こと。恥ずかしがって、観客の娘を撮影しなかったことが悔やまれます(T_T)。次にこんな機会があったら、恥ずかしがらずにやってみよう(=^o^)ノ





撮影スタジオ前にたむろする人々:柱に映っているのが司会者ですが、けして田代まさしではありません。


撮影前の風景:スタッフがステージ脇のファンに、各候補者別のTシャツを配っています。このファンは候補者別に組織されていて、中には初回放送から毎回来ているようなリーダー格もいます。すっげぇ仕込みテクを感じます。



放送直前(1):各候補者がつり上げステージにこんな風にのって。。。


放送直前(2):こんな風につり上げられます(上の、キャットウォークの辺りに候補者たちの足が見えます)。これが放送時に上から女神降臨ましますわけね。


放送開始:女神降臨~~~~♪


放送中(1):黄英ちゃんです。候補者一覧ではちょいとセクシーな雰囲気ですが、実は背が一番低くて、顔が一番丸っこくて、日本の古典的アイドルに近い彼女。しかし、選んだジャンルは少数民族舞踊で、声量も抜群。日本のアイドル学でいえば90年代後半型ですね。


放送中(2):希望工程の宣伝。希望工程というのは、中国で伝統的に行われている貧困地域支援事業のことです。今回は、田舎の小学校に行って、みんなを励ましてきました~、ってこと。子供たちも来ています。こういう「抹香臭いキャンペーン」が娯楽番組と堂々共生しているのは、最近の日本のバラエティには見られない現象です。ちなみに、この左端が黄英ちゃんです。


放送中(3):大団円。最後に黄英ちゃんが郁可唯を抜き去って、他の二人もやってきて感極まって抱き合って大泣きするというシーンです。


放送後:まだ候補者がステージにいる内に、というわけで、観客のみなさんの記念写真。実は、放送の最後のところから記念写真は始まっていました。そこらへんは、中国っぽいですねぇ。

テーマ : 面白いの見つけた
ジャンル : ブログ

上海でも、やっぱ萌えキャラなのである。


長沙へのトランジットで立ち寄った、上海浦東空港での一コマ。江戸文字にマンガ絵というのは、すでに東アジア共通の文化基盤となった感があります。
この看板の前で、そういえばってことなんですが、昨年インドに行ったときに、聖地ヴェラナシはガンジス河畔に「ゆるキャラ」を発見して焦ったことを思い出しました*1(証拠写真)。日本型マンガ絵というのは、世界の共通スタイルとして定着したことを思い知らされました。

マンガ絵のグローバル化ということでいうと、もう一つ、無視できないのが絵文字をユニコードに取り込もうという動きです。正直言ってGoogleとAppleの暴走ではないかという気もしないではないのですが*2、まぁ、それはそれでアリという時代なのかもしれません。絵文字文化のベースにマンガ絵という表現スタイルがあるということはCNETジャパンで小杉克宏氏が指摘していますが、小生はそれに賛同します。このマンガ絵文化のグローバル化の趨勢を見れば、たとえ今すぐということはなくても、やがて絵文字の国際化は進むのではないでしょうか。グローバルなコミュニケーションの方法が日本人にとってもよりリッチになっていくこと(少なくとも、その方向であること)を素直に喜びたいと思います。
ただ、それをクールジャパンだとか言って日本文化のグローバル化だと鬼の首を取ったように喜び騒ぐのは、僕はとてもダサイと思います。何も言わなくても、世界は分かっているでしょう*3。むしろ世界中の人達とこのマンガ絵文化を一緒にグローバルなものとして再構成していく活動が、この日本で起きたらいいなと思うだけです。


*1: これがその証拠。



*2:まぁせっかく日本のケータイメールにGmailを対応させるという苦労をしたので、せっかくなら世界標準にしたれ、という気持ちも分からなくはないですがね。

*3: この例外として、真実よりも自意識を優先させてしまって、何でも自国発と主張する隣国があるわけですが、さすがにそれを信じるのはごく少数でしょうから、放っておきましょう。

官僚たちの秋

「官僚たちの夏」がまたドラマ化されている。なにせ元になった組織で仕事をしているので、関連のネタには事欠かないし、職場で話題になることも多い*1

肝腎のドラマだが、できは悪くないと私は思っている。TBSとしては、“キムタク抜きの「華麗なる一族」”というノリで本格的ドラマをやるべく、かなり金と気合いが入っているらしいし。

で、主人公である風越だが、彼に対する毀誉褒貶は激しい。ストーリーの中でも、政争に勝ったり負けたり、法案は流れたが後の行政スタイルの中に事実上この思想を昇華したりと、アップダウンの激しい人物である。だが、その産業政策への過度な傾斜は、かつての通商産業省の産業政策という現実と重ねられて、経済学者からは激しく批判される。確かに、風越の政策に対する批判は的を射ている。通商産業省が自動車事業進出に反対したホンダが、今やトヨタに次ぐ自動車会社に成長し、数々の功績を残しているという事実もある。

で、気になって、ぷら~りと公式ホームページを見てみると、確かに「感動しました」とか、「風越さん頑張ってください」といった書き込みが目につく。まぁ、公式なんだからしょうがないのだろうが、少し不自然な感は拭えない。とはいえ、その産業政策バリバリの通産官僚が頑張る物語とそれを応援するファンのコメントを見て、だから経済産業省は産業政策を復活させるつもりかと勘ぐるのは少し深読みが過ぎはしないか。

確かに、今回の金融危機から、オバマ政権の登場という文脈の中で、産業政策的なものへの流れは起きているのは事実だろう。しかし、市場の調整機能をまずは信じようという思想は今の経済産業省には染みついていて、市場に抗して産業政策で経済発展マンセー*2という「現代の風越」が登場する余地はないように私には思える。

産業政策という考え方があること自体が危険な兆候なのか。それは少し言いすぎだろう。そもそも、産業政策は完全にゼロになっていないし、完全にゼロになるものでもない。多様な理由で市場の失敗はおきるわけだが*3、中でも情報の非対称性、取引コストから来る経路依存性、主体の価値判断の総合性*4あたりが重要なものだろう。後二者について言えば、ダイナミックに市場にアクションを起こすタイプの対応法もあり、これがいわゆる産業政策なのだと私は思う。多分、今の経済産業省でも、産業政策は市場経済を主とし、これに従たるものとして議論されていると私は理解している。従って、如何に風越をかっこよく書いても、それで産業政策の復権になるとは思えないわけだ。

もし、変な流れがあるとすれば、経済産業省の内側からの意志として産業政策の復権を唱え始めるということよりは、国に産業政策を求める声が外部から上がるというシナリオではないだろうか。まさかそんな不見識なことはないだろうと思うが、政策マンとしての風越の失敗をきちんと描かなければ、ドラマと現実の区別がつかなくなって、そんな阿呆なことをいう人間が出ないとも限らない。

ただ、それは杞憂だ、とも思ったりするのだ。だってさ、「官僚たちの夏」の風越とは、そもそも、滅びの中に純粋な「想い」を輝かせる男である。喩えるなら、「新撰組」の近藤勇、あるいは野口英世ようなものだ。その「想い」はいかにも敬愛すべきだが、その具体的な目的や功績は、今や共有できない。近藤勇を如何に敬愛していようと徳川幕府を再興しよういうヤツはいないだろうし、野口英世を如何に評価しようとウィルス科学をうち捨てようとはいわないだろう。

もちろん、幕末の江戸幕府の中にもやる気がある侍はいたのだとか、ノブレスオブリージュというのはあるよなとか、そういうことは思うかもしれない。だから、「官僚たちの夏」という作品が、官僚、あるいは通商産業省の後裔である経済産業省の感情論としてのイメージアップにはなるかもしれない。*5。そこら辺を狙って経済産業省や、お友達としての三井物産が動いたのだとすれば、まぁ悪くない作戦だ。

だが、それ以上のことにはならないと思うし、そして、なってはならない。








*1: まぁ、「科捜研の女」放送後の科捜研職員のことをイメージしてもらえばいい。

*2: 産業政策というより、ノリは社会主義計画経済の時代のようだ。

*3: 慶応大学の竹中教授がかつて言ったように、市場がそれだけで完全に機能すると信じる経済学者はいない。むしろ市場は失敗することは前提で、どのように失敗を補完するのかということが大事だと言っている。

*4: 「総合性」という言葉は、社会の事物の価値を金銭量に還元して理解することができないということを指している。いろんな質的に違うものを雑多に比べるという意味である。ホモエコノミクス仮定の否定だと言ってもよい

*5: 最近、奥さんから「夫が役人だとは人に恥ずかしくて言えない」と言われたという友人の話を聞くと、公平に見ても、真面目な役人へのイメージアップ効果くらいはあってしかるべきだと思う。

テーマ : 最近の人気商品
ジャンル : ブログ

プロフィール

境真良

Author:境真良
経済産業省国際戦略情報分析官(職名が「なんだかなー」的なことについてはツッコミ禁止)
慶應大学大学院メディアデザイン研究科、九州大学工学部非常勤講師
コンテンツ学会理事
ご連絡はこちらまで

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